視線コントロールの症状1

僕は視線をコントロールすることが出来ません。視野には中心視野と周辺視野の2種類がありますが、この周辺視野で人をじっと、あるいはじろじろと見続けてしまうのです。

これだけだと、誰でも経験しうることのように思われるかも知れません。ですが、僕の「これ」が極めて異常なのは、自分の目の中に別の自分が存在し、その別の自分が相手を見続けてしまうのです。眼球を動かすことによって視線をコントロールできるという思いこみが一般人にはあります。そして、視線の濃さとで言うもの(視線の強さ)が強いので、相手に気づかれることが多いのです。右と左に離れている複数の相手を一度に見続けたりすることもありました。

このために、変な風に見られたり、睨まれたりしてきました。中学三年の時は変な噂も広まり、白い目で見られたり嘲るような目で見られたりもしました。今でも人が怖いです。

また、精神病の一種である統合失調症にもなってしまいました。

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視線コントロールの症状2

10年以上、別の自分による視線をコントロールできない状態が続き、気づいたことをまとめます。

まず、自分と相手がお互いに向き合っている状態。これは相手がこちらを見ても、自分が見ている相手からは視線を感じないものですから、相手が視線を感じることはほとんどないため、気が少し楽です。それでも、相手がちらちらとこちらを窺ってくることはありますが。

ただし、このことは、カウンセラーや少年センターのおじさん、セラピストなどに理解してもらえなかったり、してもらうのにとても時間がかかる要因ともなりました。初期の頃の僕は、そのことに気づいてすらいませんでした。また、相談相手に対しては一般時に比べて不安の感情が少なく、それが別の自分が活発に見ることが少ないということにも繋がっていました。

逆に、僕が後ろ向きの相手を一方的に見る場合、相手が視界に入っている限りずっと見続けてしまうので、相手に何かしら印象を与えてしまいます。見ることによって関わりたくないのに人と関わってしまうのです。

なぜ、人を見ることをしたくないのか。それは、多くの人が見られることを気にするからです。僕はこれで10年以上悩んできました。このサイトは、僕と同じような悩みを抱えている人を少しでも元気づけられればと思い、立ち上げました。統合失調症になってからは、過去の苦しい経験が何度も浮かんできて再び同じ経験を繰り返しているように感じさせられてしまい、忘れたくても忘れられない状態になってしまいました。

視線に伴う感情が強いほど視線も強く濃くなるようです。僕の場合は変な風に思われるのではないかという「不安」の感情が特に強いです。家族に対しては、不安の感情が少ないため、もう一人の自分が過敏に見るということはあまりありません。

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視線コントロールの経過1

僕が視線をコントロールできなくなったのは、中学三年生の6月下旬の時です。

異性に対して人一倍関心が高いにもかかわらず、そんな自分を認めることが出来ずに異性を全く見ないことに決めて眠りについた夜がありました。すると、翌日から女性に対して見ないようにしている(中心視野で見ない)にもかかわらず、自分の目の中に別の自分ができあがり、周辺視野の中を動いて女性を見るということが起きました。その視線がとても強いものであったため、見られた相手も振り返ってこちらを何度も見たりしていました。これが視線をコントロールできなくなった瞬間です。

視線コントロールのできない対象は時間とともには広がっていきました。

▼視線をコントロールできなくなった対象の変遷

ちょっともてるタイプの同学年の女性

ちょっともてるタイプの女性(年齢に関係なく)

女性(年齢、容姿に関係なく)

女性と男性(年齢、容姿、性別、知人か他人かに関係なく)

全ての人間(上記+家族)

ただし、家族に対しては不安の感情が少ないため、過激に見るということはありません。

初めは、この状態をどう言語で表現したらいいのかわかりませんでした。表現できるようになってからも、それはまだ僕の状態をはっきりと表しているとは言えませんでした。

▼言語による表現の変遷
表現不可能

見ることのコントロールが出来ない(中学とその卒業後も長期間用いた言葉)

周辺視野が過敏に働く

自分の目の中で、もう一人の自分が人を凝視する

最後の表現がぴったりある感じがしますが、途中経過も自分の状態を表しているとも言えます。

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視線コントロールの経過2

僕は視線をコントロールできないことを伝えるために学校へ通い続けました。もう一人の自分がじろじろ見るのにもかかわらず、僕は一度もそのことを人に話すことが出来ませんでした。元々人に相談するのは好きでなかったのですが、そんな自分を変えようという気になっても、一般的にはコントロール出来るのが当たり前なので信じてもらえないのではないかという不安が大きく、中学時代は誰にも相談できなかったのです。

そして、僕に関する様々な悪い噂が広まるようになりました。また、多くの人が僕に対して変な目で見るようにもなりました。

▼中学で実際にあったこと

僕の気のせいではなく、明らかに周りの態度が変化したことを示すために実際にあったことを記しておきます。幾分暗い内容を含みますのでご注意下さい。

・初めの頃は、驚きの目や感心しているような目もありましたが、徐々に変な風に見られたり、白い目で見られたりすることの方が多くなっていきました
・数年前に話したことのある人や、全く話したことのない人も僕に会いに来たことがありました
・きつく睨まれたり、軽蔑するような、あざけるような目で見られたりもしました
・視界に入るとどうしても見てしまうので、後ろを向いていたら、ある時「見るな」と言われたことがあります。振り返ると、5~7人が全員僕を睨み付けていました。僕の後ろには壁があったので僕に対してであることに間違いはありません。僕が見ることができない範囲であっても、常に見られているという思いこみが生じていたようです。
・こそこそと、卑怯だとか、変態だとか、謝ればいいのにと言ってくる者もいました。
・直接、僕にプライドなんてないと言ってくる者がいました
・直接、僕に対して誠実じゃないと言ってくる者もいました
・直接、バカと罵ってきた者がいたので、その時には言い返しました
・僕が学校で授業中にマスターベーションをしているという風に思われました。教師も疑っていたようでしたが、学校でしかも授業中にそんなことするわけがありません
・テストでカンニングをしたと言われました。テストの時も僕の中にいる別の自分が周りの人をじろじろ見回すからでしょう。僕はそのことに対して周りが悪口を言っているという意味で「証拠がない」とある人に伝えると、違う意味で受け取られたみたいです。生徒だけでなく教師にも疑われました。
・ある人には、僕がカンニングで好成績を収めたなんて思っていないが、僕に改心してほしいと言われました。何を改心すればいいのでしょうか。
・ここはおまえの来る所じゃないよと言われました
・いきなり胸ぐらをつかまれたことがありました
・しばらく話していなかった知り合いに「タクだよね・・・?」と確認を求めるような言い方をされたことがありました
・「堂々と見てほしい」と僕のそばで僕に聞こえるように言われることが何度もありました
・時間が経ってくると、先生達の中にも睨み付けてくるものが出てくるようになりました
・ほとんどの人が授業中にせきばらいやくしゃみをたくさんやってくるので、それらを聞くのが辛くなりました。全く見知らぬ人が音を立てても苦しくなってしまうということが約10年続きました
・徐々に話し相手が減っていきました

ある日、担任の教師が様子がおかしくなった(成績も下がった)僕のために時間を用意してくれたことがあったのですが、何も言うことができませんでした。おまけに、その様子を見ていた同級生にチクリ疑惑をかけられました。先生は、何か悩んでいるんだったら信頼できる先生に話すよう言ってきました。その後、最後に先生と会った日、先生は「みんなは二重人格だと言っている」と言いました。初めはなんだそれと不快感を感じましたが、後でよく考えてみると、僕の状態を僕が用いたのとは別の言葉で表現したとも思えてきました。ただし、二重なのは「人格」ではなく「目」の方ですが。

6月下旬、視線のコントロールができなくなり、12月下旬に学校を少しずつ休むようになるまでは毎日学校に通い続けました。本当は7月から学校を休みたくなっていたのですが、無理して通い続けていました。そして、2月上旬から学校へ全く行かなくなりました。行けなくなったと表現した方が正しいかも知れません。

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視線コントロールの経過3

中学を卒業後、以前住んでいた県へ引っ越しました。中学を卒業する前に、視線コントロールのことを伝えることができなかったのが僕の中で余程心残りだったのか中学の夢を頻繁に見ました。時には連日続くこともありました。高校に通うことはできませんでしたが、それでも外へ積極的に出ていました。視線コントロールの訓練をするためです。近所を自転車で走りながら人を見つけるとコントロールしようと頑張りました。しかし、もう一人の自分の視線を僕がコントロールしようとしても全く出来ませんでした。この頃は、目線をあわさずに見たら変な風に思われるかも知れないと思い、自分の目線をもう一人の自分に合わせることが多かったです。

その結果、再び引っ越さなければならなくなりました。中学で起きていたことが自宅周辺や自宅の中で起きるようになったからです。安らげる時間がなくなりました。

▼この頃苦しかったこと

・変な風に見られたり、にらみつけられるようになりました
・僕を見つけると避ける者もいました
・金属同士を叩く金属音をガンガン鳴らしてきました
・布団を叩く音がだんだん大きくなってきました
・くしゃみやせきばらいをたくさんされました(中学の経験でこの音を聞くだけで苦手になっていたのです)
・学生が僕の家の前を通らなくなるなど、人通りがグーンと減りました
・それでも、くしゃみやせきばらい、物音、犬の声などが近所の家からしきりに鳴っていて静かな環境とは言えなくなりました
・ある日、隣の家へ行って僕の家を覗くなと伝えたところ、こっちが覗かれているくらいだと言い返されました。そのことを周りに伝えても、ただ言い返しただけで相手が本当にそう思いこんでいるかどうかは分からないと言われました。

また、くしゃみ、せきばらい、その他の物音に敏感になっていましたので、昼間から雨戸を閉める音がほぼ毎日聞こえてくるのも辛かったです。それは不自然なことではありますが。

ここまでは気のせいとも言えるでしょう。しかし、次に挙げるのは間違いなく嫌がらせです。

・ある日、母が電話番号を大声で叫んでおりました。窓は開いており、外から人の話し声が聞こえました。番号を聞かれてしまったのでしょう。その日を境に、無言電話や間違い電話が頻繁にかかってくるようになりました
・水道が止められた。アパートの元栓をいじったのでしょう。他のアパートの住民も一時的に困っていました
・下の階から天井(うちの床)を叩く音が聞こえてくるようになりました。それも毎日、夜にです。以前、僕が振動を下に伝えて怒られたことが一回だけあったので初めは黙っていましたが、毎日続くうちに我慢できなくなっていきました。当時の自宅は窓が多く、姉の部屋の窓のカーテンを閉めていないため外から丸見えの状態でいました。僕がカーテンを閉めたら姉は僕を気のせいだと言い、ムキになってカーテンを開けたのでした。そのため、外から僕たち家族の位置が分かり、下の階の住人と連携していたのでしょう。あまりにもうるさく、振動も伝わってきましたので、まだ若さに溢れていた僕は下の階に対してドンドンと暴れてやりかえしたこともありました。窓の外から笑い声が聞こえてきたりもしました。そして、その騒音は夜中眠る時間帯に起きることもありました。あまりにうるさいために、母が僕が出した音だと勘違いし、怒られたこともあったくらいです。

僕はだんだん外へ出ることが出来なくなったのですが、何もしないでいることが出来ないため、家で毎日家事をいくつかやるようになりました。それは現在も続けております。

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視線コントロールの経過4

引っ越した後は、慎重になり、外に出て訓練をすることを極力減らしたため、安心して暮らすことができるようになりました。たまに、訓練目的で外出するときも、朝や夜など人の少ない時間帯に短時間で行ったため、中学や卒業直後のようなことは起こりませんでした。

市内に引っ越したため電話番号は変わっておらず、無言電話などのいたずら電話はありましたが、それも時と共に減少していきました。

この頃、少年センターのおじさんや母や精神病院から精神安定剤をもらって飲んだときは苦しく、気持ち悪くなりました。そして、ある日、薬を飲んでいないのに飲んだときと同じような苦しみが出てきたことがありました。毎日、視線コントロールのことを考えていたからだと思います。

姉の友人がやって来たときは、見なくて済むよう襖を閉めました。普段は親の主義によって襖が全部取り払われているのです。

カウンセリングを受けにクリニックへ継続して通っていたこともありましたが、誤解され、馬鹿にされ、それでもなんとか通い続けて誤解を解いて理解してもらったのですが、視線コントロールの問題が良くなることはありませんでした。催眠療法を受けたこともありましたが、全く良くなりませんでした。「癒されたかも知れない感覚」すら味わうことができませんでした。値段が高いだけでした。この頃は人を信じることが出来ないでいました。そのことが癒されない大きな原因となっていたのかも知れません。

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統合失調症の経過1

僕はある日、統合失調症になりました。視線コントロールのことが気になり、家でできる仕事をするためには余程能力がないとダメだろうからと考え、将来のために勉強しだしたことがきっかけのようです。

症状としては、まず、幻覚が浮かんでくるようになりました。僕の場合は辛かった中学のことやその後の人間関係のトラブルに関する記憶が浮かんできて再び同じ経験を繰り返しているかのように感じるというものでした。それをフラッシュバックというのかも知れませんが、現在の主治医は幻覚と呼んでいます。酷い時期は、浮かんできて数秒経つとまた別のが浮かんで来るという繰り返しでしたが、現在はいくらか頻度が下がって多少楽になっております。

次に、終始見られている(監視されている)感覚を感じるようになりました。統合失調症の人がよく感じるもののようです。現在はありません。

初めの診断名はうつ病でしたが、その後、統合失調症の本やパンフレット勧められるようになりました。僕の医者はすぐに枠に当てはめて考えようとはしないタイプのようです。

処方された薬はどれも気持ち悪く苦しくなるものばかりで副作用に苦しみました。そのため、薬を何度も変えてもらったり量を減らしてもらったりしたのですが、それでも飲んだり飲まなかったりを繰り返しました。後に、こうした行為が再発へ繋がるという事実を知り、現在はちゃんと薬を毎日飲み続けております。

特にひどかった副作用
・胸と腹の間辺りが気持ち悪く苦しくなる(内側から破壊されそうな感覚と表現している)
・ある薬を飲んで1時間ほど経つといつも悲しくなり、強い厭世観に苛まれる。悲しい原因は分からない
・頭脳作業がうまくいかなくなる。これは病気によって覚醒状態になり、その後通常の状態に戻ったときに知能の低下を感じると話す人もいますがそれとは違います。通常の状態よりも下がるのです。具体的に言うと本を読んでも楽しくない。読書や勉強による快楽を感じなくなるということです。薬をやめるとうまくいくようになる。おそらく、薬のドーパミンのバランス調整による影響でしょう。

これらを感じたことがあるのは僕だけではないでしょう。疲れやすくなったり、ボーッとしたり、便秘になったり、食欲が増したりするのはある程度我慢ができますが、これらはかなりきつかったです。人によっては同じ薬でも平気なようで、薬との相性はあるようです。現在はそれほど副作用の酷くない薬にしてありますので、続けることができております。

中学卒業直後(統合失調症になる前の時)、少年センターのおじさんや母や精神病院から精神安定剤をもらって飲んだときは苦しく、気持ち悪くなりました。また、クリニックで薬をもらって飲んだときも、良くなることはありませんでした。統合失調症になった現在でも、薬を飲むことで精神状態は保たれていますが、視線コントロールの問題には効いていません。

幻覚が浮かんできても、監視されている感覚があっても、初期の頃は現実と妄想の区別ができておりました。ところが、薬を飲んだり飲まなかったりした挙げ句、飲むのをやめてしまったのがまずかったのでしょう、ある日、現実と妄想を混同するようになってしまいました。ですが、どうやら病気による妄想のせいだということが分かるとそれもしばらくの間治まりました。

視線コントロールが気になるため、病院のデイケアには参加せず1対1でできる作業療法を受けておりましたが、これで視線や統合失調症が良くなったりはしませんでした。

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統合失調症の経過2

僕は3つの段階を経て外に出られるようになりました。

▼1つめ
ある日、ネットで人に占いをしてもらいました。ここでは占いの効用・信用性については語りません。その経験が良かったのは、病気の影響もあって言動におかしな点がある僕とネットでコミュニケーションし、いくつかトラブルが発生しながらもアドヴァイスしてくれ、それによって僕が人を信じられるようになったことです。これが一番大きな事だと思います。

▼2つめ
しかし、それに伴うトラブルによって病気が再発してしまい、精神科に入院することになってしまいました。ところが、入院によって様々な人と触れ合うきっかけができ、そこでの経験は大きな前進となりました。

入院直前から直後の頃は、現実と妄想が混沌としておりました。幻覚もフラッシュバックもどきだけでなく様々な種類のものが浮かんでくるようになりました。目の前にマンダラ図形が浮かんできたこともあり、僕が苦手とする人を見なくてすむと喜んだこともありました。所謂急性期というやつです。言動と態度のおかしくなった僕を見て心配した親は病院へ行くことを勧めてきたのです。幻聴の中にもしつこく医者に行くことを勧めてくるものがありましたので、それに素直に従いました。また、入院していなかったら幻聴の命令によって家族を傷つけていたかも知れず、ゾーッとします。

病院の待合室では、人が大勢いて自分の視線が気になり、いつものように目を閉じましたが、緊張は長く続いていき、何時間も待たされている間に病気の症状は次第に悪化し、現実と妄想の区別が「ほとんど」つけられなくなりました。馬鹿なことや無意味なことをして恥をかいたりもしました。そして、その恥というものも次第に感じなくなっていきました(良くなってから思い出すと、その時恥をかいたことははっきり感じることができます)。次第に多幸感に包まれていきました。この幸せを周りに分けてあげたいと思って意味のない仕草をしたりもしました。あとで主治医に話すと「(人格崩壊の)一歩手前だったんじゃないかな」と言われました。

入院してから久しぶりに精神安定剤を飲むようになったのですが、初めに飲んだ薬は以前に副作用で苦しくなったものと同じものでした。ところが、入院直後に飲んだときは苦しくありませんでした。そして、それがずっと続くのかと思いきや、病気が良くなってくるとまた以前のように苦しく気持ち悪くなったのでした。

いろいろあって結局、薬を変えてもらいました。その薬は内側から破壊される感じや厭世観は生じませんでしたが、頭脳作業がうまくできなくなりました。それは辛くはありましたが、退院してからしばらく経つころには良くなっていました。月単位の時間が経つことで改善されることもあるようです。

病院では、誰かの物がなくなるという事件が何度か起きました。病気のせいなのかストレスのはけ口なのかは分かりませんが、僕は持ち物にちゃんと名前のシールを貼っておいたので大丈夫でした。僕の場合は、入院直後の混沌とした頃に家族が持ってきた持ち物を手放そうとしたことがありました。そのうちのほとんどは看護師さんが持ってきてくれましたが、本1冊だけは戻ってきませんでした。

入院してからも変な風に見られたりすることやホームシックになったことがありましたが、他の患者さんや看護師さん、主治医などとコミュニケーションを交わす機会に恵まれました。それは1段階目の時以上に人を信じるきっかけとなることができました。

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退院後~現在1

▼3つめ
入院の経験によって、家族と一緒に外に出たりすることがまた増えてきました。そんなある日、買い物で食料品売り場を歩いている時でのことです。別の自分の視線が気になって仕方がなく、皆僕の視線を気にしていると感じておりました。そして、中心視野を使って時々相手の様子を窺ってみると、なんと鏡に映った自分だったということがありました。

この経験によって周りの人たちは僕が思うほど僕の視線を気にしていないということを、知識的にではなく経験的に知ることができたのです。僕が気にしていたのは他人ではなく自分の影だったのですから。

これらの経験が段階的に起きたおかげで、視線コントロールの問題は完全にではないですが半分くらいは解決しました。このときは。

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退院後~現在2

視線コントロールの問題が半分ほど解決したおかげで、映画を見に行ったり、コンサートに音楽鑑賞に行ったりできるようになりましたが、自由を得られたのは約1年半だけでした。次第に自分が良くなっていないことに気がついていったのです。

映画館では、自分が映画を見ながら、別の自分が近くの人をじろじろ見回すため、映画の上映中だというのに近くの人が何度も振り返ってきたことがありました。このまま続けていたら変な風に思われてしまい、表を歩けなくなってしまうので片目を閉じました。この時は端の席だったので片目だけで済みましたが、中央寄りの席ではこうはいきません。

コンサートでは、尊敬する作曲家の悪口が頭の中一杯に聞こえてきました。そして、僕もそれを大声で叫べと要求されました。この種の幻聴には逆らいがたい圧力のようなものを感じるため、それに耐えるだけで疲れてしまいました。

図書館や本屋では、本を探すと同時に別の自分が人をしつこくじろじろ見回してしまうため、耐えきれなくなります。振り返られたり何度も見られたりするだけで、昔住んでいたところを引っ越さなければならなくなった時と同じ事を経験してしまうのではないかという恐れが頭の中一杯に広がっていきます。

時に睨まれたりしたこともあります。やはり、ほとんどの人は見られることを気にしているようです。

僕は多くの人に迷惑を掛けたかも知れませんが、僕自身もたくさん苦しんだのです。そのことは今まで関わってきた人たちに一番伝えたいことです。

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退院後~現在3

薬はちゃんと毎日飲み続けております。いくら一生薬を飲み続けなければいけないと医者に言われたとはいえ、急性期の再発を防ぐため飲み続ける必要があるからです。

時が経つにつれ、フラッシュバックもどきの幻覚が浮かんでくる頻度が下がってきました。しかし、フラッシュバックもどきの幻覚だけでなく、親しい人から頭の中で馬鹿にされたり、責められたりする幻覚が出てくるようになりました。これは家族も含まれます。より詳しく説明しますと、一時的にうまくいっていなかった状況が何度も浮かんできて再び同じ経験をさせられているように感じるというものです。そういう意味ではフラッシュバックと似ています。ただし、これは和解してからも、うまくいっていなかったときの状況が何度も幻覚となって浮かんでくるところに病的な性質があります。

それとは逆に、精神的にきつかったある日、けなす幻聴だけでなく、励ます幻聴が浮かんできたことがありました。ただし、これはとても頻度が低く余程のことがない限り浮かんできません。こういった幻聴の方が必要であるのに。

なぜ、このような幻覚が浮かんでくるのでしょうか。脳の誤作動という考え方が一般的かも知れませんが、僕は生きるために必要だから浮かんでくるのだと思っています。将来起こりうる危機にあらかじめ対処しようとする本能が過剰に働いているのでしょう。けなすのも励ますのも自分の分身なのです。その材料が過去の経験を元にしているだけであって。

別の自分の視線は相変わらず不安の感情が強いとき、強く濃くなります。薄く弱く見ることができません。

これを読んで僕の視線コントロールの問題が統合失調症の症状ではないかと感じた方もおられるかも知れません。僕には分かりませんが、僕の主治医は統合失調症の一部と見ているようです。

薬を飲むことによって、精神の安定を得ることはできておりますが、視線コントロールの問題は良くならないままでおります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。m(_ _)m

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